世界大百科事典(旧版)内のGandorferの言及
【バイエルン】より
…ハイムをも抑えて形成されたこの体制に対して,またプロイセンの軍部・重化学工業界主導下の大戦遂行と戦時経済に対して,バイエルンの労働者や農民の不満はしだいに高まった。兄カールは中央党左派から農民同盟左派へ,また弟ルートウィヒは社会民主党から独立社会民主党へと動いたガンドルファーGandorfer兄弟の反戦平和派としての台頭は,その最も急進的な形での表現であった。 1918年11月,独立社会民主党のアイスナーの指導のもとに,ミュンヘンでベルリンに先がけて革命が勃発,バイエルンは〈自由国〉となった。…
※「Gandorfer」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」