GeórgiosI(その他表記)GeorgiosI

世界大百科事典(旧版)内のGeórgiosIの言及

【ギリシア】より

…1861年,ローマ・カトリックである国王一派とギリシア正教会との反目が表面化し,イタリアでの革命も刺激となってギリシアに革命が起こりオソン1世は追放された(1862)。このため63年に,イギリス政府の指名によってデンマーク王子がゲオルギオス1世Geórgios I(在位1863‐1913)として新たに国王に迎えられたが,これを国民はイギリスがイオニア諸島(1815年よりイギリス領)をギリシアに割譲するという条件の下に承諾したのである。 独立当時のギリシア領域は,アルタ湾とボロス湾とを結ぶ線以南の本土とキクラデス諸島に限定されており,残されたギリシア人居住区の併合問題は政府の当初よりの懸案であった。…

※「GeórgiosI」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

1969年から続く英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門で、他言語から英語に翻訳された優れた作品に贈られる。翻訳者の仕事を重視し、賞金5万ポンド(約970万円)は作家と翻訳者で折半される。2005年...

国際ブッカー賞の用語解説を読む