世界大百科事典(旧版)内のGerhaertvanLeyden,N.の言及
【ドイツ美術】より
…14世紀後半にはプラハ大聖堂に多くの作品(21体の胸像群は有名)を残したパルラー家の活躍があり,しだいに勃興し始めた市民階級に根ざした写実的様式への道が開かれる。以後1400年前後に現れる甘美な〈美しき聖母子〉の〈柔軟様式Weicher Stil〉を経て,ドイツ彫刻は中世末に隆盛期を迎え,ヘルハルト・ファン・レイデンNicolaus Gerhaert van Leyden(1420ころ‐73),シュトース,フィッシャー(父)Peter Vischer(1460ころ‐1529),ノトケBernt Notke(1440ころ‐1509),リーメンシュナイダーらの輩出をみる。 建築が窓を広げてステンド・グラスを発達させていった(マールブルクのエリーザベト教会,ケルン大聖堂)のに比例して壁画が減少し,代わって板絵がそれまでのミニアチュールを抑えて指導的な絵画ジャンルとなる。…
※「GerhaertvanLeyden,N.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」