世界大百科事典(旧版)内の《GeschichteundKlassenbewusstsein》の言及
【ルカーチ】より
…ハンガリー革命に当たってブダペストに帰り,革新的知識人のリーダーとして文化革新運動に挺身,1918年にはハンガリー共産党に入党して,クン・ベーラ政権の教育文化相となるが,挫折後ウィーン,ベルリン等に亡命。この間,批判的マルクス主義の記念碑的名著といわれる《歴史と階級意識Geschichte und Klassenbewusstsein》(1923)を著す。これはマルクスの疎外論の動機を再発見するとともに,マルクス主義を西欧哲学の中心概念によって基礎づける画期的なものであったが,党の正統派からは修正主義として非難を浴びた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」