世界大百科事典(旧版)内のGinzburg,L.の言及
【ピエモンテ[州]】より
… 1933年に創設されたエイナウディ社は,反ファシズム思想の砦になるとともに,第2次大戦中から戦後にかけて,トリノを新しい文化の中心地とするのに主導的役割を果たした。サント・ステーファノ・ベルボ生れのC.パベーゼ(反ファシズム活動の理由によって1935‐36年は南イタリアに流刑),トリノ生れの画家・医者で《キリストはエボリに止まりぬ》(1945)を著したレービ(1935‐36年は南イタリアに流刑),獄死したロシア文学者ギンズブルグLeone Ginzburg(1909‐44),その妻ナターリア・ギンズブルグ,またレジスタンスに参加した最後の世代I.カルビーノは,エイナウディ社の編集活動に直接加わった。この結果,戦後エイナウディ社から,B.フェノリオ,G.アルピーノ,P.レービら,多彩な人材が世に送り出された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」