世界大百科事典(旧版)内のGirard,R.の言及
【演劇】より
…この考えは宗教史的には正当化されないが,一つの比喩としては有効であり,事実,悲劇に限らず演劇の主人公を〈供犠〉すなわち犠牲の儀礼の対象と見なすことは可能だからである。たとえばフランスの神話学者ルネ・ジラールRené Girard(1923‐ )のように,〈贖罪の牡山羊〉をはじめとする供犠に,社会の無意識の層に集積する暴力の発露とその調整を見る論者もいるし(この点ではアリストテレスの〈カタルシス〉論に通じる),あるいはフランスの古典神話学者ベルナンJean‐Pierre Vernant(1914‐ )のように,この〈穢れ〉を具体的な儀礼と結びつけて,たとえばソフォクレスの《オイディプス王》を,アテナイの古い宗教的習慣である〈汚穢を担う者(パルマコス)〉の追放と,同時代の政治的選択である〈貝殻追放〉とを重ねて読んだものとし,犠牲に選ばれる者の両義性すなわち人並み優れていると同時にすべての人より卑しく穢れている者という様相を強調する学者もいる。その〈穢れ〉がいずれにせよ人間の社会を成立させるために必要な排除の原則によって人間以外の領分に排除された〈反‐世界〉であってみれば,ソ連の文芸学者M.M.バフチンのように,始原的混沌の侵入による社会的生の活性化であるカーニバルや道化に,演劇の真の作用を見いだそうとする視点も生まれてくるのである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」