HeinrichderStolze(その他表記)HeinrichderStolze

世界大百科事典(旧版)内のHeinrichderStolzeの言及

【シュタウフェン朝】より

…その2子,シュワーベン大公フリードリヒ2世独眼公(在位1105‐47)とフランケン大公コンラート(後の国王)は,終始ハインリヒ5世の支柱として西南ドイツを固め,王が子なくして死んだ後には,そのザリエル家領を相続し,ドイツ王位の継承権をも主張した。そして,1125年の国王選挙に際して独眼公はザクセン大公ロタール(国王として3世)の前に敗れたが,同王の死(1137)後,今度はコンラートが先王の女婿ウェルフェン家Welfenのハインリヒ倨傲公Heinrich der Stolze(?‐1139)の競争を退けてドイツ国王に選出された。 シュタウフェン朝諸王のうち最も大きな足跡を残したのはフリードリヒ1世(バルバロッサ,赤髭王)である。…

※「HeinrichderStolze」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む