世界大百科事典(旧版)内のHeinrichIIIderErlauchteの言及
【ザクセン】より
…同家はまず,ザーレ川下流域の植民活動を組織して堅固な実力基盤を築くとともに,12世紀初頭までにはマイセン辺境伯(マルクグラーフ)の地位を皇帝から受封し,事実上,王の支配権限をマルク全域にわたって代行する立場を獲得した。これ以後,ウェッティン家は首尾一貫して周辺への領地拡大につとめ,ハインリヒ3世貴顕侯Heinrich III der Erlauchte(在位1221‐88)の長い統治下で,1243年にはシュタウフェン朝王権の開発したプライセンラントPleissenlandを(領土の確定は1255),47年には二つの帝国諸侯領すなわちチューリンゲン邦伯領Landgrafschaftとザクセン宮廷伯領Pfalzgrafschaftとを獲得し(確定は1264),ドイツ諸侯中で最大の領土支配者になった。さらに,1423年フリードリヒ1世好戦侯Friedrich I der Streitbare(在位1381‐1428)は,上述ハインリヒ獅子公の失脚いらい2世紀半にわたってアスカニア家の手中にあったザクセン大公の地位を,選帝侯位ならびに帝国式部長官位とともにみずからの掌中にした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」