世界大百科事典(旧版)内のHipler,W.の言及
【ドイツ農民戦争】より
… フランケンでは,3月22日以降,ローテンブルク市周辺の163ヵ村が蜂起し,タウバータール農民団を結成した。同じころ,ネッカータール・オーデンワルト合同農民団が成立し,その指導者となったのはホーエンローエ伯の官房書記を勤めたヒプラーWendel Hipler(1465ころ‐1526),農奴ロールバハJäcklin Rohrbach(?‐1525)であり,軍事指揮者には帝国騎士ベルリヒンゲンがなった。北フランケンには,ビルトハウゼン農民団が形成され,フランケン3農民団は,5月9日,ビュルツブルク司教のマリーエンベルク城を囲んだが,攻め落とすまでにはいたらなかった。…
【ハイルブロン】より
…大空位時代に自由帝国都市となり,商業地として栄えた。1525年ドイツ農民戦争が勃発したとき,ネカータール・オーデンワルト農民団の指導者ヒプラーWendel Hipler(1465ころ‐1526)は,5月中旬,ここに農民議会を招集しようとした。そのために作成されたのが《ハイルブロン綱領》で,市民的立場に立って帝国を改造し,封建的諸権利を制限することをうたっている。…
※「Hipler,W.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」