世界大百科事典(旧版)内のHishāmb.‘Abdal-Malikの言及
【ウマイヤ朝】より
…以後,国家の創建以来続いていた政府とアラブ部族民の対立,アラブ諸部族間の反目,シーア派やハワーリジュ派の反政府活動,非アラブ・ムスリムのマワーリーの不満,ウマイヤ家一族内の対立などが相関しあい,帝国の支配体制は弛緩した。ヒシャームHishām b.‘Abd al‐Malik(691‐743。在位724‐743)の国家再建策も効を奏せず,同朝は崩壊への道を進んだ。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」