世界大百科事典(旧版)内のHopfer,D.の言及
【カリカチュア】より
…16世紀のドイツ,フランドルではゴシック的形態の伝統と新しく流入したイタリア・ルネサンスとの様式上の矛盾がかえって形態におもしろいゆがみを生じさせた。ホファーDaniel Hopfer(1470ころ‐1536)がその典型である。また,L.クラーナハにも先鋭な反カトリック的作品があるように,旧教・新教両派の争いは風刺版画によっても闘われたのである。…
【銅版画】より
…金属を一種のワックスで防食し酸による腐食で装飾することは14世紀以来行われてきたが,それは必ずしも銅ではなかった。1500年ころアウクスブルクのホッファーDaniel Hopfer(1470ころ‐1536)の金工工房でエッチングが初めて試みられたときも腐食したのは鉄板であり,デューラー,アルトドルファー,ヒルシュフォーゲルAugustin Hirschvogel(1503ころ‐53),ブルクマイアなどのエッチングはいずれも鉄版でなされた。 1520年代にネーデルラントのL.ファン・レイデンが銅版のエッチングをはじめ,16世紀中期から全ヨーロッパに行われる。…
※「Hopfer,D.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」