世界大百科事典(旧版)内のhusariaの言及
【ザモイスキ】より
…バトーリはザモイスキを重用し,76年には王国副宰相,78年には王国宰相に任命して内政と外交に采配を振るわせた。また対ロシア戦争(イワン4世がリボニアに進出してきた)の戦費調達を目的とした課税や王領地の農民を動員した歩兵隊,コサック騎兵隊,砲兵隊,工兵隊,フサリアhusariaと呼ばれた重装騎兵隊などの新設をセイムに認めさせるのも,シュラフタのあいだで人気があったザモイスキの役割であった。79‐82年の対ロシア戦争でザモイスキは指揮官としての功績を認められ,81年に王国軍司令官(ヘトマン。…
【ポーランド】より
…ジグムント・アウグストの妹アンナAnnaとの結婚と,ヘンリクが即位に際して認めた〈ヘンリク条項〉の再確認が即位の条件であった。財政改革と軍制改革(とくに有名なのがフサリアHusariaと呼ばれる重装騎兵軍の創設。また登録したコサックをポーランド軍に編入)によって強力な軍隊をつくり上げたステファンは,その在位期間のほとんどを費やしたイワン4世との戦争(1576‐82)に勝利してリボニアを確保することに成功した。…
※「husaria」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」