世界大百科事典(旧版)内のKallisthenēsの言及
【アレクサンドロス[大王]】より
…アレクサンドロスは大筋を旧制度の踏襲にもとめ,ペルシア貴族を行政面で積極的に登用するとともに,王朝風の宮廷儀礼(たとえば謁見のさいの跪拝)や制度慣行をとり入れて,征服と協調の同時推進の方針を明らかにする。しかし軍の内部にはマケドニア人・ギリシア人の征服者としての優越維持,東方人の被征服者としての隷属化に固執して,彼の政策姿勢を東方かぶれ,東方的専制王への変身と批判する向きも強く,両派の確執はやがて副将パルメニオン,フィロタスPhilōtas父子や親友のクレイトスKleitos,哲学者・史家のカリステネスKallisthenēsなど,王批判派の相次ぐ粛清となって表面化した。2度にわたる王暗殺の陰謀も同じ状況の産物だった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」