世界大百科事典(旧版)内のKankrin,E.F.の言及
【ロシア】より
…1769年からアシグナーツィアassignatsiyaと呼ばれる紙幣が発行されたが,その価値は基準貨幣である銀貨に対して下落しつづけ,1812年には4紙幣ルーブル=1銀ルーブルに換算された。39年の大蔵大臣カンクリンEgor Frantsevich Kankrin(1774‐1845)の改革によって紙幣は廃止され,その代り43年から信用券が発行された。しかし信用券も銀貨に比べると93~99%の値うちしかなかった。…
【ロシア帝国】より
… デカブリストの乱で貴族階級に強い不信の念をもったニコライ1世の下でロシアは,皇帝直属官房を中心とする完全な官僚支配の下に置かれた。もっとも,ニコライはアレクサンドルとちがって政治についてなんらの幻想をもたず,それだけに農奴制国家の矛盾についてもかなりの現実的認識をもっていたので,彼の政治には,法典の整備(スペランスキーによる〈ロシア帝国法律大全〉〈ロシア帝国法典〉の編纂),農奴売買の制限,地主の自発的農奴解放の奨励(〈義務農民〉創設に関する法令),国有地農民の地位改善と自治確立(キセリョフの改革),工場付農奴の解放許可,雇用労働者の帰村制限,通貨の安定(カンクリンEgor F.Kankrin(1774‐1845)の幣制改革),教育機関の拡充,とくに実業専門学校の設置,などの若干の積極的な面もあった。しかしこれらはいずれも農奴制体制の枠内での部分的改革ないし資本主義育成策であって,専制主義と農奴制の原則は堅持され,これに反対するいっさいの思想と運動は,全国の特高警察の頂点に置かれた皇帝直属官房第三部の直接の弾圧ときびしい教育および言論統制によって抑圧された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」