世界大百科事典(旧版)内のKawalerowicz,J.の言及
【ポーランド映画】より
… 戦後,45年に製作・配給の全権が国家代行機関である〈フィルム・ポルスキFilm Polski〉に移されて映画が国有化され,強制収容所の残虐と悲惨を描いたヤクボフスカの《アウシュウィッツの女囚》(1948),ナチスに対するゲットーの暴動を描いたフォルドの《境界の街》(1948)といった注目すべき作品がつくられた。1940年代の終りから50年代の初めにかけては,映画行政に〈社会主義リアリズム〉の押しつけというかたちで教条主義的な弊害があらわれたが,フォルドの《ショパンの青春》(1952)やイェジー・カワレロウィッチJerzy Kawalerowiczの《フリジアの星の下に》(1954)などは例外であった。 55年,一種の独立プロダクション・システムともいうべき映画芸術家たちの独立した創造集団である六つの〈映画製作ユニット〉が創設され,そこからポーランド映画を世界的に注目させた若い世代の作家たちが出現した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」