世界大百科事典(旧版)内のKrasnov,P.N.の言及
【アタマン】より
…アタマンになったのは富裕な上層部分(スタルシナ)で,彼らは19世紀までにロシア帝国の貴族になった。またラージンなどの農民反乱の指導者や盗賊の首領もアタマンと称し,ロシア革命の際コサック出身の将軍カレージンAleksei Maksimovich Kaledin(1861‐1918),ついでクラスノフPyotr Nikolaevich Krasnov(1869‐1947)がドン・コサックのアタマンに選ばれ,革命軍と戦った。16~17世紀に農村共同体の,のちにはアルテリのスターロスタ(長)も時にアタマンとよばれた。…
【ケレンスキー】より
…十月革命で打倒されると,閣僚たちを冬宮に残し,自分だけ女装してアメリカ大使館の車で逃亡した。プスコフに逃れ,その地のクラスノフP.N.Krasnovのコサック軍とともに首都に攻め上ったが,プルコボの戦で撃退された。翌18年フランスに亡命し,内戦には積極的に参加しなかった。…
【ロシア革命】より
…このため単純多数で臨時労農政府,人民委員会議が選出された。 首都を脱出したケレンスキーは,将軍クラスノフPyotr N.Krasnov(1869‐1947)の部隊とともに攻め上ってきたが,10月30日,郊外のプルコボで打ち破られた。この日モスクワでも5日間つづいた大戦闘が終わり,臨時政府派が敗北した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」