世界大百科事典(旧版)内のKrukowiecki,J.の言及
【十一月蜂起】より
…8月には民衆によるスパイ狩りとリンチ騒ぎが起こり,その責任を負ってチャルトリスキは辞職した。その後に登場してきたクルコウェツキJan Krukowiecki将軍(1772‐1850)の政府には独裁的権限が認められ,局面の打開がまかされることになったが,すでにロシア軍はワルシャワの周辺に迫っており,クルコウェツキにできたことは可能な限り有利な条件をロシア軍に認めさせて降伏することでしかなかった。31年9月7日にワルシャワが降伏した。…
※「Krukowiecki,J.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」