世界大百科事典(旧版)内のKupka,F.の言及
【カンディンスキー】より
…その画風は,初期の印象主義的なもの,ユーゲントシュティール的なものから,色彩を強調し形態をデフォルメする表現主義的なものへ移行し,さらに10年ころからは,対象の形態の具体的な描写がほとんど見られない抽象的なものへと進んでいった。そのことから,モンドリアン,クプカFrantišek(Frank) Kupka(1871‐1957),マレービチらと並ぶ,抽象絵画の創始者の一人と目される(抽象芸術)。しかし,他の画家たちがキュビスム的分析を経て,純粋に造形的な見地から抽象絵画の道へ進んで行ったのに対し,彼の場合,抽象絵画を導いたのは彼独特の宗教的・神秘主義的主題であり,その主題が呼びさます内的イメージをいかに自由かつ強烈に画面に表現するかという問題こそが重要であった。…
【チェコスロバキア】より
…1918年から92年まで続いた中欧の共和国。国名通称はチェコ語,スロバキア語ともČeskoslovensko。1920‐38年,1945‐60年の正式国名は〈チェコスロバキア共和国Českoslovká republika〉。1948年以後は社会主義体制をとり,60年からの正式国名は〈チェコスロバキア社会主義共和国Československá Socialistická republika〉。1969年よりチェコ社会主義共和国とスロバキア社会主義共和国の連邦制に移行したが,89年の〈東欧革命〉の進行過程で両共和国で連邦制の見直しが図られ,正式国名を〈チェコおよびスロバキア連邦共和国Česká a Slovenská Federativní Republika〉に変更した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」