世界大百科事典(旧版)内のKurucの言及
【テケリ】より
…北ハンガリーのプロテスタント大土地所有貴族の出。父が反ハプスブルクの陰謀に加わって敗れたため,1670年トランシルバニアへ行き,そこで78年から義勇軍クルツKurucの指揮をとり,同年9~11月の戦いで北部ハンガリーを占領,大公に選出された(テケリの乱とよばれる)。その後オスマン・トルコと結ぶが,83年のトルコ軍のウィーン攻撃の失敗ののち,皇帝レオポルトと和を講じようとしてトルコ軍に捕らわれ,85年には北ハンガリー大公国も崩壊。…
※「Kuruc」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」