世界大百科事典(旧版)内の《Laleçon》の言及
【イヨネスコ】より
…48年に英会話の教科書をもじって,日常的な形式論理の無意味さや会話による意思疎通の不可能,それに伴う言語の解体,その帰結としての精神の崩壊という現代人の不安を如実に舞台化した《禿の女歌手La cantatrice chauve》(1950)を書き,〈反戯曲〉と副題をつける。さらに,言葉や事物がひとり歩きや自己増殖を始めて人間を圧倒する恐怖を黒いユーモアのうちに描く一幕物《授業La leçon》(1951)や《椅子Les chaises》(1952)などを発表し,50年代半ば以降いわゆる不条理劇の代表のひとりとして国際的評価を受ける。《無給の殺し屋》(1959)を転機に,主人公ベランジェを中心に展開する多幕物に進み,初期作品で失われていた物語性を回復し,《犀(さい)》(1958)の成功を経て《渇きと飢え》(1966)がコメディ・フランセーズで上演され,70年にはアカデミー会員に選ばれる。…
※「《Laleçon》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」