世界大百科事典(旧版)内のLanfrancの言及
【キリスト教文学】より
…ザンクト・ガレンは11世紀初めに寺伝の有能な編者エッケハルト4世Ekkehart IV(980ころ‐1060ころ)をもった。つづいて冷厳な雄弁僧ペトルス・ダミアニ(《歌の中の歌》その他の作者)や,カンタベリー大司教であったランフランクLanfranc(1005ころ‐89),アンセルムスの両権威,なかんずくパリ大学に多くの聴講者を集めたアベラールとその論敵で当時教界の重鎮であったクレルボーのベルナールらが次代を代表する。ことにアベラールとその愛人エロイーズの悲痛な恋愛の物語は人々にあまねく知られ,2人が交換した多くの書簡,とりわけ第1の《わが不幸の物語》は,中世宗教文学に異彩を放っている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」