世界大百科事典(旧版)内のLaugerieHauteの言及
【オーリニャック文化】より
…その説では後者をペリゴール文化と呼び,これもまた5期に細分される。ロジュリー・オートLaugerie Haute遺跡の層位,およびパトーPataud遺跡の発掘成果をみると,ブルイユ説よりもペイロニ説のほうが難点が大きいが,オーリニャック文化に関する編年学的問題はまだ解決されていない。オーリニャック型の石器の分布は極めて広い。…
【発掘】より
…フランスの旧石器時代洞窟遺跡における発掘調査である。1864年ラルテE.Lartet(1801‐71)とH.クリスティは,フランス南部ベゼール河谷のロジュリー・オートLaugerie‐Haute洞窟で,上下に重なる3層の遺物包含層を確認した。これに続く多くの層位的事実の確認でもたらされた情報と,出土遺物の研究成果とを総合することによって,19世紀後半のヨーロッパにおいて旧石器時代文化の編年が確立していった。…
※「LaugerieHaute」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」