世界大百科事典(旧版)内のLeblond,A.J.B.の言及
【サンクト・ペテルブルグ】より
…やがて浮橋や舟橋が作られたが,現在ある永久橋(今日のシュミット中尉橋)が最初に作られたのは1850年のことである。市街は当初ネバ川右岸に,ペトロパブロフスク要塞を中心に,イタリア系スイス人トレジーニDomenico Trezini(イタリアではトレッツィーニTrezzini,1670ころ‐1734)の都市計画にしたがって建設されたが,1712年首都がモスクワからこの地に移されてから,より下流のワシリエフスキー島Ostrov Vasil’evskiiに主としてフランスの建築家ルブロンAlexandre Jean‐Baptiste Leblond(1679‐1719)のプランにしたがって次々と大がかりな建築物が建てられた。〈12のコレギア(官庁舎)〉(現在のサンクト・ペテルブルグ大学の建物),クンストカメラ(美術品陳列館)などがその代表である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」