世界大百科事典(旧版)内の《LehrbuchderAnthropologie》の言及
【マルティン】より
…スイス生れのドイツ系人類学者。チューリヒに生まれ,1905年にチューリヒ大学の人類学の教授となったが,11年から14年まで大学をはなれてパリに滞在し,その間に人類学研究法の統一を目ざした有名な《人類学教科書Lehrbuch der Anthropologie》(1914)を著した。これはフランスのトピナールの教科書に次いで,ヨーロッパ自然人類学の代表的な教科書となり,著者の死後も28年には改訂第2版全3巻,続いて57年から66年にかけて改訂増補第3版全4巻が,それぞれ教え子の手によって刊行され,全世界の研究者の間に流布している。…
※「《LehrbuchderAnthropologie》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」