世界大百科事典(旧版)内の《L'EspritNouveau》の言及
【オザンファン】より
…初めキュビストとして活躍したがこれに十分満足せず,1918年に画家で建築家のジャンヌレCharles‐Édouard Jeanneret(ル・コルビュジエ)と共に〈ピュリスムpurisme(純粋主義)〉を提唱して,明確な線および形,簡潔な画面構成を強調し,造形言語の純化を企てた。20‐25年,共同で雑誌《エスプリ・ヌーボーL’Esprit Nouveau(新しき精神)》を刊行。30年以降,パリ,ロンドン,ニューヨーク(1938渡米)で美術学校を設立。…
【ル・コルビュジエ】より
… 他方,1917年,画家A.オザンファンと出会い,翌年彼と《キュビスム以後》を著し,装飾に堕したとキュビスムを批判し,機械にイメージを求めて明確・簡潔な抽象造形を目ざす〈ピュリスムpurisme〉を唱える。また20年《エスプリ・ヌーボーL’Esprit Nouveau(新しき精神)》誌を創刊。同誌に発表した建築,絵画から文学にまで及ぶ論文は《建築へ向かって》(1923)にまとめられるが,これは彼の建築論の原型をなすものといえる。…
※「《L'EspritNouveau》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」