世界大百科事典(旧版)内のLudwigIVの言及
【チューリンゲン】より
…そのあとを弟のヘルマン1世Hermann I(1155ころ‐1217)が継ぐが,彼は文芸愛好の君主として知られ,ドイツ中世吟遊詩人の代表者であるワルター・フォン・デル・フォーゲルワイデ,ウォルフラム(エッシェンバハの)などが彼の宮廷のあるアイゼナハを訪れ,13世紀半ばに成立した長編抒情詩《ワルトブルクの歌合戦》は,中世チューリンゲン文化の全盛期をしのばせるものがある。13世紀初頭の方伯ルートウィヒ4世Ludwig IV der Heilige(1200‐27)は,ハンガリー王の娘,聖エリザベートと結婚したが,皇帝フリードリヒ2世に従って第5回十字軍に出征し,オトラントで死去した。この若い伯の死は大きな衝撃を与え,のち聖者と仰がれ,《聖ルートウィヒの十字軍行》という韻文詩にうたわれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」