世界大百科事典(旧版)内のMartens,A.の言及
【鉄】より
…18世紀から19世紀にかけて鉄鋼の化学が技術に衝撃を与えたとすれば,19世紀から20世紀にかけては鉄鋼の物理化学と結晶構造学が技術に衝撃を与えた。1863年のH.C.ソルビーの炭素鋼から晶出および析出する結晶(フェライト,セメンタイト,パーライト,グラファイトなど)の顕微鏡による発見,マルテンスA.Martens(1850‐1914)の1878年論文の同じ発見,ロシアのD.K.チェルノフの1868年論文の樹枝状晶および結晶粒の成長に関する理論および焼入れ焼戻しの理論,F.オスモン(1849‐1912)の80年代の鉄の変態(α鉄,β鉄,γ鉄)の発見,オーステンW.Roberts‐Austen(1843‐1902)の97年論文の,そしてH.W.B.ローゼボームの1900年論文の鉄と炭素の状態図は,炭素鋼の凝固過程の晶出析出の全貌を明らかにした。その後はあらゆる合金鋼の状態図が調べられていくのである。…
【鋼】より
…19世紀に入るとベリマンの成果はドイツのカルステンKarl Johann Bernhard Karsten(1782‐1853),ランパディウスWilhelm August Lampadius(1772‐1842)らによって引き継がれ,高炉では吸炭が,精錬炉では脱炭が,浸炭法では吸炭が生じることなどが明らかにされた。また合金鋼に関するM.ファラデーの研究,鉄鋼の変態点に関するロシアのチェルノフDmitrii K.Chernov(1839‐1921)の研究,鉄鋼の顕微鏡組織に関するイギリスのソルビーHenry Clifton Sorby(1826‐1908)やドイツのマルテンスAdolf Martens(1850‐1914)の研究,鉄鋼の変態に関するフランスのF.オスモンの研究,鋼中の炭素の役割に関するイギリスのJ.O.アーノルドの研究,鉄鋼の状態図に関するイギリスのオーステンWilliam Roberts Austen(1843‐1902)やオランダのローゼボームHendrik Willem Bakhuis Roozeboom(1854‐1907)らの研究が相次ぎ,鋼の硬化と熱処理,組織,状態図との関係など,今日の鋼の物理冶金学の基礎が築かれた。鋼の組織の名前であるソルバイト,マルテンサイト,オーステナイト,トルースタイト,レーデブライトなどは,それらの先人の業績にちなんで命名された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」