世界大百科事典(旧版)内のMartinusVの言及
【シスマ】より
…たびたびの軍事行動をも伴った双方の教皇たちのこの対立は各国の政治的利害が複雑に絡み合って深刻化し,これを解決しようとした1409年のピサ教会会議はアレクサンデル5世Alexander Vを新教皇に選んだ。しかし,かえって3人の教皇を鼎立(ていりつ)させる結果に終わって失敗し,ようやくコンスタンツ公会議による2教皇の廃位と1教皇の自主退位,新教皇マルティヌス5世Martinus Vの選出によって解決を見た。なお,東西関係ではアカキオスのシスマ(484‐519)やフォティオスのシスマ(858‐886)が著名であるが,1054年から現代まで続いている東方正教会とローマ教会とのシスマがとくに注目される。…
【バーゼル公会議】より
…教皇マルティヌス5世Martinus Vによって1431‐39年スイスのバーゼルに召集・開催された公会議。東西教会の合同とフス派戦争の終結を目的とした。…
※「MartinusV」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」