世界大百科事典(旧版)内のMassemba-Débat,A.の言及
【コンゴ共和国】より
…その一方で国内経済は下降線をたどり,国際収支は悪化し,失業率は高まり,民衆の不満は増大していった。しかもユールー政権は63年4月に野党を禁止してUDDIAの一党制に移行したため,政治的緊張は限界に達し,同年8月の3日間にわたるゼネストと軍部の政治介入の結果,ユールーは大統領を辞任し,代わってマサンバ・デバAlphonse Massemba‐Débatを首班とする臨時政府が登場した。マサンバ・デバは親西欧・親仏路線を廃棄し,労働組合と軍部を主柱に親共派・急進派民族主義者をも含む広範な支持基盤のうえに,左派的な政権をうちたてた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」