世界大百科事典(旧版)内のMassufaの言及
【ワラタ】より
…14世紀のイタリアの地誌家の記述にはワラタの名があり,アラブの大旅行者イブン・バットゥータは1352年にこの町(彼はイワーラータンと呼んでいる)を訪れて50日滞在し,その後24日歩いて当時のマリ帝国の都に赴いている。イブン・バットゥータはこの町を,サハラを南下してきて初めての黒人の国(スーダン)の町としているが,住民の大部分はムーア(モール)人の一部族と思われるマスーファ族Massufaの商人で,北アフリカからの商品がここでおろされ取引されていると述べている。真水の井戸があり,ナツメヤシ,スイカなどを栽培し,羊が多く,住民はエジプト製のよい衣服をつけ,女性の地位が高く,母系が重んじられていたとも記されているが,最後の点は,西サハラの遊牧民トゥアレグの母系継承の影響を思わせる。…
※「Massufa」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」