世界大百科事典(旧版)内のMavrocordat,N.の言及
【モルドバ】より
…その後の条約によりカンテミールはロシアへ亡命し,ピョートル大帝に厚遇されたが,以後ロシアとの関係は深められていった。オスマン政府はモルドバの統治をいっそう強化するためギリシアのファナリオット出身のマブロコルダトNicolae Mavrocordat(在位1709‐10,11‐15)を公に任命し,1821年までファナリオットの時期がつづいた。この時期には現地貴族の間から公が選出されなかったばかりでなく,外交権の喪失,軍隊の縮小など,自治権に対する大幅な制限が加えられた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」