世界大百科事典(旧版)内のMcCarey,L.の言及
【ルビッチ】より
…〈ルビッチ・タッチ〉とよばれる独特の洗練されたスタイルで,セックスを笑いでまぶしたハリウッドの〈ソフィスティケーティッド・コメディ〉あるいは〈ロマンチック・コメディ〉(フランス語では〈アメリカ喜劇comédie américaine〉とよばれるジャンル)の原形をつくった。フランク・キャプラ,プレストン・スタージェス,レオ・マッケリーLeo McCarey(1898‐1969)とともに〈アメリカ喜劇〉の四大監督とみなされる。 ロシア系ユダヤ人を父にベルリンに生まれ,高校時代から学生演劇に熱中して,16歳のとき中退,昼は呉服商の父の仕事を手伝い,夜はキャバレーやミュージック・ホールに出演する。…
【我輩はカモである】より
…1933年製作のアメリカ映画。《カンターの闘牛師》(1932)などで示した喜劇の才能を認められて起用されたレオ・マッケリーLeo McCarey(1898‐1969)監督作品。しかし,レオ・マッケリー監督作品としてよりは,マルクス兄弟の映画としてよく知られる作品である。…
※「McCarey,L.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」