世界大百科事典(旧版)内のMcMahon,H.の言及
【マクマホン・ライン】より
…1914年3月,シムラ会議開催中に,イギリスとチベットが秘密裏に合意したイギリス領インド北東部とチベット間の境界線。イギリス側代表団首席のマクマホンHenry McMahonが線引きしたもので,東側はディプ峠から西はタワングをインド側に含め,ブータン国境に至るラインである。第2次大戦後,中華人民共和国はマクマホン・ラインをイギリス帝国主義の遺産として承認できないとの立場をとったが,1960年のビルマ(現ミャンマー)との国境協定では若干の修正をしただけで事実上マクマホン・ラインを国境として承認した。…
※「McMahon,H.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」