世界大百科事典(旧版)内のMieszkoIの言及
【ピアスト王朝】より
…カジミエシュ大王の姉エリジュビエタの子)を介してヤギエウォ朝に変わるが,ピアスト侯家は周辺部の侯国の支配者として存続した(最終的な断絶は1675年)。18世紀末以来,ミエシュコ1世Mieszko I以前の支配者は伝説にすぎないとされていた。ミエシュコ1世と違ってドイツやチェコの文献に記述がなく,ガル・アノニムの《ポーランド年代記》に登場してくるだけであったからである。…
【ポーランド】より
…
[ピアスト朝時代]
(1)ポーランド国家の形成 ギリシア・ローマの古典古代世界から遠く隔たっていたポーランドの地が文書記録に登場してくるのは,10世紀末になってからである。イブラヒム・イブン・ヤクブという名のスペインに住むユダヤ人が,そのころモラビア国に属していたクラクフにやってきて,グニェズノに本拠を置くポラニエPolanie族の長,ピアスト(ピヤスト)朝ミエシュコ1世Mieszko I(?‐992)に関する記録を残している。ポーランドという国名はこの部族名に由来する。…
※「MieszkoI」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」