世界大百科事典(旧版)内のMieszkoIIの言及
【ポーランド】より
…これをもって一応ポーランドは国家として独立した地位を確立したと考えられるが,その王位は決して安定したものではなかった。(2)解体と再建,分裂 ボレスワフ勇敢王の後を継いで王位に即いたミエシュコ2世Mieszko II(990‐1034)はキエフ・ロシアと組んだ兄ベスプリムBezprymによる反乱に遭って亡命を余儀なくされ(1031),その翌年に帰国するが,王位はすでにドイツ皇帝に返還されていた。その子カジミエシュ再建侯Kazimierz Odnowiciel(1016‐58)がミエシュコ2世の後を継いだ翌年には,キリスト教の強制に反対する民衆の反乱が勃発し(1035‐37),再建侯は再び亡命を余儀なくされた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」