世界大百科事典(旧版)内のMogila,P.S.の言及
【ウクライナ教会】より
…またガリツィア地方の合同教会は1946年までにほぼ消滅した。ウクライナの正教会はカトリックの攻勢の前に混迷を続けていたが,17世紀前半,キエフ府主教モギラ(モヒラ)Pyotr Mogilaの努力で再興期を迎えた。しかしキエフ府主教座は17世紀末,ロシア帝国のウクライナ併合とともにモスクワ総主教の管轄下に置かれた。…
【キエフ神学校】より
…ロシアの神学校。キエフ府主教モギラPyotr Simeonovich Mogila(1596‐1647)が1631年にペチェルスカヤ大修道院(キエフ洞窟修道院)内に設けたもので,のち神学大学として1817年まで存続した。カトリック教会の反宗教改革の一環として教会合同工作などの攻勢にさらされたポーランド支配下のロシア正教会にあって,西方で教育を受けたモギラは,逆にラテン神学の方法をとりいれて正教会の立場の強化をはかった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」