世界大百科事典(旧版)内のMonsigny,P.A.の言及
【フランス演劇】より
… 1672年,J.B.リュリが〈王立音楽アカデミー〉の独占権の勅許を得,劇場における音楽とバレエが制度的に〈言葉の演劇〉から切り離され,80年にはブルゴーニュ座とモリエール亡き後のその劇団が勅命により合体されて〈コメディ・フランセーズ〉となり,三大作家を中心とする〈古典〉の上演を使命とするようになると,〈演劇(テアートル)〉という言葉が〈言葉の演劇〉を指す傾向は顕著になる。リュリのオペラ(P.キノー台本)などによるバレエ入りフランス・オペラの隆盛は,18世紀にはJ.P.ラモーへと引き継がれ,それに対する批判がルソーを理論家とする〈道化論争querelle des Bouffons〉となるが,これはすでに,のち1759年にサン・ジェルマンの市(いち)において初演される,モンシニーPierre Alexandre Monsigny(1729‐1817)の最初の〈オペラ・コミック〉(《軽はずみな告白》)を予告している。
【18世紀】
18世紀は,ボルテール,デュ・ボス師をはじめとする批評的言説によって,まずは17世紀の栄光を批判的に確立する〈ふるい〉の役を果たす。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」