世界大百科事典(旧版)内のMorel,E.の言及
【コンゴ民主共和国】より
…コンゴ自由国は事実上レオポルド2世の私的植民地として他に類例を見ないほどの暴政のもとに置かれ,住民の土地に対する組織的収奪,ゴム農園の開発や象牙の採集を目的とした非人道的な強制労働制度の導入などのために,レオポルド2世はイギリスをはじめとする欧米諸国からベルリン協定違反として厳しい非難を浴びせられた。また民間レベルでも,イギリスのモレルEdmund Morel(1873‐1924)のように1904年にコンゴ改革協会を組織し,《赤いゴム》などの著作によってレオポルド2世の暴政を告発する人々が少なからず現れ,コンゴ自由国の立場はいっそう苦しいものとなった。レオポルド2世は06年以降アフリカ人首長の権限の部分的承認,ゴムの強制集荷の廃止などを含む一連の改革を導入しようとしたが,国際世論の非難をかわすことができず,08年にコンゴ自由国の統治権をベルギー政府に移管し,ここにベルギー領コンゴが正式に誕生した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」