世界大百科事典(旧版)内のmultilateralnuclearforceの言及
【核戦略】より
…ソ連の核戦力の増強とともに大量報復戦略の見直しが始まり,57年12月にパリで開かれた首脳会談で,ヨーロッパにアメリカの核弾頭装着のIRBMを配備することを決定した。1960年代になって,英仏両国が独自の核武装をする動きを見せ,これを懸念したアメリカは,自国製核ミサイルを提供して他のNATO諸国が兵員,艦艇を供出してつくりあげる〈多角的核戦力multilateral nuclear force構想〉を打ちだしたが,英仏両国が消極的で結局,立消えとなった。 その後もヨーロッパにおける核戦力問題の検討がつづけられてきたが,1967年12月,NATOは柔軟反応戦略の採用を決定した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」