世界大百科事典(旧版)内のmuzāri‘ūnの言及
【イスラム】より
… 遊牧民であったアラブの征服軍は支配下の農村社会や農業には興味を示さず,そこから租税を徴収することだけを目的にしていた。従来どおりの土地保有を認められた耕作農民(ムザーリウーンmuzāri‘ūn,ファッラーフーンfallāḥūn)には人頭税のほかに土地税が課せられ,しかもこの土地税だけで収穫の約半分に達したと推定されている。免税特権をもつアラブ・ムスリムと原住民との税制上の不平等が解消されるのは,イスラムの租税制度が整い,土地の耕作者はすべて地代としての地租(ハラージュ)を支払うという原則が確立する8世紀半ば以降のことであった。…
【村】より
…またエジプトの農村に固有なハウリーkhawlīは,耕地の種類やその耕作状況によく通じている者であって,むらの耕作地を管理し,灌漑用の堤(ジスルjisr)を切るときには村長とともに立ち会うことが定められていた。都市民の中心が商工業者であったのに対して,むら社会を構成する主要な階層は,ファッラーフーンfallāḥūnあるいはムザーリウーンmuzāri‘ūnと呼ばれる自小作の農民であった。平均的なファッラーフーンは,犂と2頭の牛を所有し,初期イスラム時代には,たとえ小作人であっても自ら国家に租税を納めるだけの自立性を備えていた。…
※「muzāri‘ūn」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」