世界大百科事典(旧版)内のNahapānaの言及
【クシャトラパ】より
…クシャトラパ勢力のうち,(1)西インドの一部と北西部デカンを支配したクシャハラータ朝と,(2)マールワー・カーティアーワール地方に本拠を置く王朝との二つが有力であった。(1)の王朝は1世紀後半(あるいは2世紀初め)に出たナハパーナNahapānaのもとに強力となり,デカン北部に進出したが,サータバーハナ朝のガウタミープトラ・シャータカルニGautamīputra Śātakarniに滅ぼされた。(2)の王朝は1世紀後半(あるいは2世紀前半)のチャシュタナCaṣṭnaのもとに強力となり,その孫ルドラダーマンRudradāman(130‐150ころ)の時代に最盛期を迎えた。…
【サカ】より
…王の下にはマハー(大)・クシャトラパmahā‐kṣatrapa,クシャトラパを置き,国内を監督させたが,これはアケメネス朝以来の地方総督であるサトラップのインド語訛であるといわれる。 マウエースの死後王国は一時分解したが,後1世紀ころクシャトラパの一系統のブーマカBhūmaka,ナハパーナNahapāna父子によって,サウラーシュトラ,マールワー地方に勢力が築かれた。この王朝はクシャハラータKṣaharāta朝と呼ばれ,インド文化との同化に努めてバラモン教,仏教を共によく保護した。…
※「Nahapāna」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」