世界大百科事典(旧版)内のOrmuzdの言及
【イラン美術】より
…むろん,ササン朝初期の美術にはパルティアの衰退した技法,形式が認められるが,やがて当時敵対していたローマ帝国の写実的美術を摂取し,的確な写実性,立体感,アケメネス朝由来の均衡のとれた装飾性を備えた様式および図像体系を確立した。それはアケメネス朝と同じく宮廷を中心とした奢侈芸術で,帝王の絶対性,超越性を誇示するために制作され,宗教的要素は王権神授の神像(オルムズドOrmuzd神,アナーヒター女神)以外にほとんどなく,きわめて世俗性が強い。しかし,この世俗的美術は,写実を超えた様式化,意匠化がみごとで,周辺諸国にも受容され,シルクロードを通して日本にまでもたらされた(正倉院の宝物)。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」