世界大百科事典(旧版)内のOsterman,A.I.の言及
【アンナ・イワノブナ】より
…即位の際,名門貴族D.M.ゴリーツィンなど最高枢密院の提示した君主権制限の条件を認めたが,一般貴族の支持ですぐこれを廃棄し,彼らのために一子相続制を廃し,土地所有権を強め,貴族子弟の陸軍幼年学校を設け,勤務条件を緩和した。女帝はあまり教養がなく,国務への関心も少なく,クールランド時代からの寵臣ビロンErnst Johann Bironが権勢をふるったが(いわゆる“ビロン体制”),女帝の政治を実質上担って功績があったのは,オステルマン伯Andrei Ivanovich Ostermanとミュンニヒ元帥Burkhard Christoph Münnichであった。2人ともドイツ人であったが,ピョートル1世に仕えた外交官・軍人であり,女帝の時代を“ドイツ人の支配”と特徴づけることには問題がある。…
※「Osterman,A.I.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」