世界大百科事典(旧版)内のPīshevarī,S.J.の言及
【アゼルバイジャン】より
…一方,19世紀を通じて,同地方の中心都市タブリーズを中継地点とする対ヨーロッパ,対ロシア貿易がイランの対外貿易の中心をなしたこともあって,最も早く〈西欧の衝撃〉を被った同地方は,タバコ・ボイコット運動(1891‐92)およびイラン立憲革命(1905‐11)の時期には,イランの民族解放闘争・立憲闘争の拠点となった。さらに,1920年にはヘヤーバーニーSheykh Moḥammad Kheyābānī(1880‐1920)を党首とするタブリーズ民主党による〈アーザーディースターン共和国〉が成立し,45年にはピーシェバリーSeyyed Ja‘far Pīshevarī(?‐1947か48)を首班とする〈アゼルバイジャン自治共和国〉政府が樹立された。これらの運動は単なる分離運動としてではなく,いずれも列強のかいらいと化した中央政府に対する批判的性格を色濃く帯びている点で,イランの民族解放闘争史上重要な役割を担ったことが評価されねばならない。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」