世界大百科事典(旧版)内のPan-AfricanCongressの言及
【パン・アフリカニズム】より
…一般にこの会議の意義は,初めてアフリカ(系)人国際主義を組織化したこと,パン・アフリカという言葉を世に知らせたことなどであるとされているが,ビクトリア女王から〈アフリカにおける原住民諸人種の利益と福祉を無視しない〉との約束を得たことも注目されてよい。その後しばらく運動は低迷したが,第1次世界大戦終結直後の19年にアメリカ合衆国の黒人運動家デュ・ボイスがパリでパン・アフリカ会議Pan‐African Congressを開催した。会議はドイツ領アフリカを国際管理のもとに置くこと,アフリカ人に対する国際的保護の法制度化,アフリカ植民地における漸進的・段階的自治の推進,天然資源の涸渇防止,アフリカ人に対する教育の普及などを求める決議を採択し,これを契機に運動は再び活発化した。…
※「Pan-AfricanCongress」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」