世界大百科事典(旧版)内のPapandréou,A.の言及
【ギリシア】より
…北部農村にはオスマン・トルコ支配時代に起源する大土地所有制が残存し,外国資本と結託した産業資本家や船主など少数の手に富が集中,半失業,潜在失業者の数も多かった。63年11月および64年2月の総選挙では2度にわたって中央連合(中道左派)が勝利しパパンドレウGeórgios Papandréou(1888‐1968)が組閣したが,政府としては弱体で政情は不安定であった。パブロス1世の死により即位したコンスタンティノス2世がパパンドレウ首相を解任(1965年7月)した後,社会不安はとみに高まり,67年4月,左翼の進出を阻むとの理由によるパパドプロスGeórgios Papadópoulos(1919‐ )らのクーデタが成功,軍事独裁政権が成立した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」