世界大百科事典(旧版)内のPetitionofRightの言及
【ピューリタン革命】より
…かくて議会を中心にジェントリー,コモン・ロー専門家,ピューリタンの3者が共同戦線を組んで,国王と宮廷に挑戦した。 1625年父王を継いだチャールズ1世の治世には,緊張はさらに高まり,28年その第3議会は,クックが中心になって〈権利請願Petition of Right〉を国王に提出した。それは献金の強制,議会の同意なき課税,不法な逮捕・投獄,兵士の無料宿泊,軍法裁判の濫用といった国王の行為は,13世紀の〈マグナ・カルタ〉をはじめとするコモン・ローによって保障されてきたイギリス人の権利と自由を侵すものであることを訴えたものであった。…
※「PetitionofRight」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」