世界大百科事典(旧版)内のPhilipon,C.の言及
【シャリバリ】より
…1832年より93年まで続いた。すでに1830年に政治風刺の週刊誌《カリカチュールLa Caricature》を創刊していた素描家フィリポンCharles Philipon(1806‐62)によって刊行され,グランビル,ドーミエ,ガバルニ,シャムCham(1819‐79)などの優れた素描家の手で風刺漫画が描かれた。とりわけ七月王政期に,反ルイ・フィリップのキャンペーンで幾度も検閲の対象となり,二月革命(1848)の世論をつくり上げるのに貢献した。…
【ドーミエ】より
…少年時代は生活のために働きながら絵や石版術を学んだ。ルイ・フィリップを洋梨になぞらえたフィリポンCharles Philipon(1804‐62)が主宰している風刺雑誌《カリカチュール》,《シャリバリ》を舞台に,シャルレNicolas Toussaint Charlet(1792‐1845),トラビエCharles‐Joseph Traviès(1804‐59),ドベリアAchille Deveria(1805‐59)らと共通する様式の石版風刺画家として声価を確立する。その契機となったのは洋梨風の国王を貪欲な巨人に見たてた《ガルガンチュア》(1830)で,このため6ヵ月の入獄と罰金が科された。…
【ドレ】より
…フランスの挿絵画家,版画家。ストラスブールに生まれ,1847年にパリに出,フィリポンC.Philiponの《笑い時報》に協力。54年以降,膨大な量の書物の挿絵を描き,国際的な名声を得る。…
※「Philipon,C.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」