世界大百科事典(旧版)内の《Physiologiedugoût》の言及
【ブリヤ・サバラン】より
…ディジョン大学で法律を修め故郷で弁護士となり,フランス革命前期までは国民会議議員や出身地の市長などを務め,法曹界・政界で活躍していたが,恐怖政治の際,亡命を余儀なくされ,ドイツ,スイス,アメリカを回り,コック見習い,フランス語教師,バイオリン弾きなど,余芸を生かしさまざまな職業を経験する。帰国後,駐ドイツ共和国参謀部の食卓係を経て,司法界に復帰,大審院判事として25年の余生を送り,その間に,法律関係の著作をものし,死の前年《味覚の生理学(美味礼讃)Physiologie du goût》を刊行した。粋人でありつつ,生涯独身を通したが,奇矯の人グリモー・ド・ラ・レニエールと対照的な良識ある教養人で,文学サロンに出入りし,モラリストのまなざしで,さまざまな人間を観察した。…
※「《Physiologiedugoût》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」