世界大百科事典(旧版)内のPolignac,J.A.A.M.deの言及
【七月革命】より
…さらに24年,ルイ18世の病没の後を継いだユルトラの首領で王弟のアルトア伯が即位(シャルル10世)すると,アンシャン・レジームへの復帰を望むユルトラ派は,言論弾圧,教権拡大,〈亡命貴族の10億フラン法〉の制定など,激しい反動政策を推し進めた。これに対し,自由主義ブルジョアを中心とする反ユルトラ派は,全国で反政府キャンペーン,選挙法改正運動を展開し,27年の選挙ではユルトラ派を敗北に追い込んだが,シャルル10世は29年,反動貴族ポリニャックJules‐Auguste‐Armand‐Marie de Polignac(1780‐1847)を首相に任命し,両派の対立は頂点に達した。この間,1825年のイギリス経済危機がフランスにも波及し,これに農業危機が加わり,労働者の賃金の低下,失業の増大,穀物価格の急騰により各地で食糧暴動,労働争議が頻発していた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」